「別にいいのでは」と思わなくなった理由

消防車でうどん店寄る 一宮市消防団員7人:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)

うどん店に消防車で行った消防団員のなにが問題か 「別にいいのでは」で済まない理由

私もこのニュースをチラッと目にしていたぐらいの頃は「別にいいのでは」と思っていた。

だがbuzzfeedの記事を読んだところで「うーむ」という感じになり、以下のツイートを読んだ今は「やっぱり良くないかな」と思っている。

 

ところでブコメではこの記事を書いたbuzzfeedの瀬谷記者がやたら叩かれているが、安易にネット上の論調になびかず、取材して得た情報を提示してくれたことに、私はむしろ拍手を贈りたい。同調圧力などまっぴらゴメンだ。

 

「藤原(工業)が承認」?

財務省、森友との契約「特例」 面会時、籠池氏が録音:朝日新聞デジタル

こちらで聴ける録音データの中でまず一点不自然に感じたのが、開始30秒あたりの

藤原(工業)が承認をしてということでありましたんで

の部分である。

編集で切られたこの後の内容を聞けばわかるのかもしれないが、なぜここで藤原工業の名前が出てくるのかがわからない。

確かにやや不明瞭ながら「藤原」と言っているように聞こえるが、田村室長の立場で工事業者の名前まで把握しているのだろうか。そうだとしても、初対面の人物に対して「藤原」と呼び捨てにする形はとらないだろう。

100回くらい聴き返して得た結論は、ここは「こちら側の承認」が正しい、である。

これなら文脈的にもしっくりくる。

森友学園問題:「場内処分」発言をしたのは航空局職員かもしれない

突如ひらめいたのでメモ。

例の打ち合わせには、行政側からは近畿財務局の職員と大阪航空局の職員が参加しているが、記録上、発言者は全て「財務局」として記載されている。大阪航空局の職員は、ただ同席しただけで黙っていただのだろうか?

それは不自然なので、あるいはこれは業者が便宜上、行政側の発言を全て「財務局」として記載しただけで、実際は航空局の職員の発言も混ざっているのかもしれない。

そもそもこの有益費は財務局ではなく航空局が支払うものであり、その予算についてあれこれ発言するのはむしろ航空局の職員ではないだろうか。

仮に場内処分云々が航空局職員の発言だったとしたら、佐川局長が池田統括官に確認し、そのような発言をした記憶はないと述べた点は、(厳密に言えば)虚偽ではないことになる。

野党はこの点を財務省にばかり確認しているように思うが、国交省にもしっかり確認をとっているのだろうか。

 

森友学園問題:財務省のデータ復元可能性について

保存期間1年未満の行政文書について

最近評判の国会ウォッチャー氏が民進党・高井議員の質疑を高く評価していたので、録画映像を見てみたところ、明らかに問題があると思われる点があったので指摘しておく。

ポイントとなる発言を、以下文字起こしする。

紙の文書であればですね、まあ焼却なりしてしまえばこれはもうどうしようもありません。復元はできません。

しかしですね、今の時代ですね、皆さんパソコンで文書は作っているわけです。まさかね、手書きで全部メモを取ってるわけはありません。

で、このパソコンで作った場合はですね、このデジタルデータというのはそのものはですね、無くせないんですよ。

これもう、文書管理システムのようなところからはまあ消去、まあ私はね、そんな仕事終わるたびに消去なんて絶対してないと思いますけど、まあでもそれやってるんだと、百歩譲っておっしゃるんであってね、まあそのいちいち仕事終わるたびに消去してるんだと言ったとしてもそれは文書管理システム上の表面から消去してるだけであって、必ずパソコンのハードディスクやサーバの中には残ってます。

これはですね、私もITをずっとやってきましたし、念のためいろんなITの専門家にも確認しましたけど、ま、これ絶対無くせないってわけじゃありません。まあ相当なお金と手間をかけて、パソコン自体をもう初期化してしまうようなものすごい作業をやれば消すこともできます。

しかしそんなものをですね、やってるはずがないと。だからこそ普通はみんなドリルで穴を開けたりですね、もう海に捨てたりですね、するわけですよ。

そしてそのようなすごいシステムを財務省は導入しているのかという点についての質疑をはさみ、こう続ける。

そんなですね、システムを入れてたら予算書とかに必ず出てきますから後でわかりますから、入れてないんですよ、絶対に。

で、だから必ず残ってるんです。残ってますよ。残ってる前提でこのあと質疑しますが…

高井議員の発言に基づけば、相当なコストを掛けてパソコンを初期化しない限り、デジタルデータは必ず復元できるということになってしまう。これはおかしい。

コストを掛けてデータを消去するのは、データを「確実に復元不能にする」ことが目的である。そのような作業をしていない状態では、データは「復元できるかもしれないし、復元できないかもしれない」というのが正しい理解であろう。

高井議員は「念のためいろんなITの専門家にも確認しました」と言っているが、それら専門家は必ずデータが復元できると言ったのであろうか。そう言ったのだとしたらその「専門家」というのは誰なのかをぜひ聞いてみたいものである。

どのような時にデータを復元できるかについてはデータ復元に関する文章を別途参照していただきたいが、私の感覚で言えば、頻繁に書き込みがある文書管理システムのサーバ上のデータについては、おそらく復元は不可能であろう。各職員の利用する端末上のデータについては、定期的なデフラグ等が実行されていない限り、そこそこの復元可能性があると思われる。

従って、確実にデータが復元できるはずとの前提に立ち、仮にデータ復元が不可能であった場合に、それが財務省による証拠隠滅・隠蔽工作によるものと理解してしまうと、それは事態を正しく認識できていないことになる。

また、仮に各職員の利用する端末上のデータを復旧できたとして、それを行政文書として取り扱っていいかについては、慎重かつ抑制的であるべきだと思う。

そうしないと、今回はいいとしても、今後何かの時に「神の手」があらわれて、政権や行政機関にとって大変都合のいいデータを「発掘」してこないとも限らないからである。

 

ところで、共産党宮本岳志議員は4月12日の財務金融委員会において、朝日新聞

森友との交渉記録、データ復元の可能性 財務省認める:朝日新聞デジタル

この記事を引用し、「パソコン内のデータの復元可能性は極めて高いと思う」と発言した。

“森友”面会記録 財務省「復元できない」(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース

この発言がどういう経緯から出たのか、その直前の宮本議員の発言を見てみよう。

データの上書きというのはパソコンのハードディスクの容量上限のデータが保存されてはじめて上書きされていくものでありますから、財務省のシステムでは、ハードディスクの容量の空きがあっても勝手に上書きされると、こういうことになっているんですかね。

当該発言は、上記質問に対する佐川理財局長の答弁を受けて、こう述べた中でのものである。

いずれにせよ、ハードディスクの容量上限まで利用するというようなことは、ちょっと想定されませんので、近畿財務局内の、財務局のパソコン内のデータの復元可能性は極めて高いと思うんですね。

ハードディスクの仕組みについて、私の認識するところとはずいぶん異なる解説であるが、おそらく共産党事務所のパソコンではそのような非常に便利なファイルシステムを利用しているのであろう。ぜひ広く一般に公開していただきたいものだ。

 

教育勅語と『我が闘争』

日本で教育勅語を教材にするのはドイツで『我が闘争』を教材にするようなもの、というたとえ話を用いて、先般の閣議決定の内容や、近頃の政権の姿勢を批判する主張が見られる。

すぐに思いつきそうな比較であるが、すぐに確認できそうな内容でもある。ドイツでは実際どうなっているのだろうか?

ヒトラー『わが闘争』ドイツで70年ぶり再発売、注文殺到で増刷も

ドイツ教職員組合のヨゼフ・クラウス理事長は、『わが闘争』は出版すべきで、学校で教えらえるべきでもあると考えるが、ドイチェ・ヴェルとのインタビューの中で彼は、言葉を選びながらも、自分の意見を変えるつもりはないと述べた。「もっと危険なのは、この事について口を閉ざしたり、出版を完全に禁止することです」と彼は言う。ヒットラーの著書から一部を引用して、これを歴史の授業で教えれば、若者の過激派思想に対する「免疫力を高める」ものになるのではないかと彼は期待する。

 

校訂版「わが闘争」が1月8日に発売~ユダヤ団体は反対 : ドイツ語とドイツにまつわるお話

今ドイツでは、この校訂版「わが闘争」をドイツの学校で教材として使用するべきかどうか、意見が分かれています。
教員連盟は賛成、
ユダヤ団体は反対。

続きが非常に興味深いので引用元をご覧になっていただきたい。

 

本場ドイツの記事はこちら。2017.2.9付の記事である。

Geschichtsunterricht: Darf das in den Unterricht? | ZEIT ONLINE

タイトルをGoogle翻訳すると、"Can this be taught?"

冒頭をやはりGoogle翻訳するとこのような感じである。

The excitement in January 2016 was great: Should students read Hitler's Mein Kampf in history lessons? Does it have to be that way? Can that be?

そもそも『我が闘争』の発禁処分が解除されたのが最近のことなので、なかなかホットな状況となっているようだ。

 

教育勅語を教材にさせるなと国に求める愚

(社説)教育勅語 過去の遺物が教材か:朝日新聞デジタル

教育勅語に関連した質問主意書に対する答弁書閣議決定されたことについて、朝日新聞

この内閣の言動や思想をあわせ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環と見なければならない。

などと社説を書いているが、噴飯ものである。

だいたいがして、初鹿議員が提出した質問主意書に書かれているのは、

衆参の決議を徹底するために、教育勅語本文を学校教育で使用することを禁止すべきだと考えますが、政府の見解を伺います。 

という、条件を付さずに一律禁止せよという激烈な内容なのである。教育の自由の制限を強めよと言っているに等しい。

朝日は同社説の中で、

こうした歴史的事実を教えるための資料として、教育勅語を使うことはあっていい。

と言っているものの、上記質問主意書の内容に従えばそれすらできなくなってしまう。

国の回答は(まだ本文が確認できないので報じられた内容に依ってしまうけれども)、教師の裁量権について現状を維持するものであり、むしろ穏当な内容というべきだろう。

文科相 教育勅語「歴史教材に用いるのは問題ない」 | NHKニュース

今回のこの質問主意書にまつわる流れを見ると、常識的には拒絶するよりない極端な提案をし、それに対する対応をミスリードして政権批判するところまでがワンセットになっている感がある。

 

また、もし私が現実主義かつ独裁志向の権力者であれば、このような提案は喜々として受け入れ、政府が教育に対しより深く介入できるような法整備を進めるだろう。教育勅語のような象徴的なお題目など、捨て駒にしたとしても惜しいものではない。

そちらの方がどれだけ恐ろしいことであるか。初鹿議員の行為はそのような事態を招きかねなかった軽挙として強く批判されるべきだ。

 

私が教育に望むのは、自らの知識と思考によって教育勅語を否定できる能力をもった人格を育むこと(エンパワーメント)であって、パターナリスティックに教材から教育勅語を排除するのはむしろそれを阻害する。

教育勅語を肯定的に扱うような教育の監視は、国民が自分たちの力で行うべきことだ。国にそれを行わせるというのは、「おまかせ民主主義」の最たるものではないか。

 

森友学園問題:近畿財務局と業者の打ち合わせ記録はなぜ軽視されてきたのか

森友問題は結局、財務省の大チョンボ!? 3枚のメモから見えた真相(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

先日当ブログで文字起こしした、いわゆる「業者側の記録」が、今やこちらの記事内でクッキリとした画像で参照できる状態となった。

当該記事の内容自体は、事実確認が足りない箇所があるものの、現在明らかになっている情報から推定した内容としては、という留保をつければ比較的穏当なものと思う。

 

この記録は2月24日の共産党宮本岳志議員の質問において初めて広く世に知らされた資料である。当時は「独自資料」「爆弾」などと称された。

森友学園2/24宮本岳志(共産)の質疑書き起こし|Hikaruの井戸端放送局

撤去費用が地価を上回る可能性については、その後以下の記事で初めて言及されたように記憶している。

森友学園:ごみ撤去費10億円超想定か? 学校用地、算定の半年前 | 共同通信 ニュース | 沖縄タイムス+プラス

撤去費用が地価を上回る可能性があったのであれば、売却時に値引きされた8億円という額が不当に高いものではなかった可能性が強く推認される。この時点では「新たなゴミ」が発見されていなかったのであるから、なおさらである。

そうなると、森友学園問題の発端であるところの「国有地を不当に安い価格で払い下げた」という問題設定がそもそも誤っていたということになりかねない。

事件全体の構図を捉えるにあたっては、その真偽が非常に重要な部分である。

 

それにも関わらず、野党もマスメディアもこの部分にはほとんど触れてこなかった。

まず、上記沖縄タイムスの記事は、共同通信配信の記事であるにも関わらず、共同通信本体のwebには載らず、沖縄タイムススポニチ(こちらは抜粋版)に載ったのみであった。

ごみの撤去費用「10億円以上」国の見積もり前に財務省想定― スポニチ Sponichi Annex 社会

その後もこの打ち合わせ記録は専ら「埋め戻し」の部分にばかり焦点が当てられ、「地価を上回る瑕疵」という記述は、googleで期間を区切って検索したところ、

森友学園:近畿財務局「校内で廃棄物処分を」 - 毎日新聞

の記事で紹介されている例があるのみであった。

産経のスクープと称された

【森友学園問題】近畿財務局が産廃の「場内処分」促す 費用増大懸念し埋め戻しか 協議文書を独自入手(1/2ページ) - 産経ニュース

この記事でも、協議文書を入手して全文を参照できる状態にありながら、埋め戻しのことばかりに注目している。

上記リンクの宮本岳志議員の質疑を見ても、地価を上回る瑕疵の存在に関する部分は抜け落ちている。

発端の2/24から1ヶ月以上経過したここ数日になってやっと、おそらく和田政宗議員のブログ記事が最も強い契機としてはたらき、「地価を上回る瑕疵」の記述が注目されるようになった。

 

事件の構図そのものを左右しかねない重大事案にも関わらず、なぜこれまでこのように軽視されてきたのだろうか。

森友学園問題が報じられだした当初、読売新聞が森友学園問題をろくに報じないことが、安倍政権を慮った意図的なものではないかと疑問視されたが、その伝でいけば、こちらも疑問視して良さそうである。

たとえ可能性であっても、「国有地を不当に安い価格で払い下げた」というストーリーを覆すような内容は報じない、という意図があってあえて報じなかったのではないか、と。