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教育勅語を教材にさせるなと国に求める愚

(社説)教育勅語 過去の遺物が教材か:朝日新聞デジタル

教育勅語に関連した質問主意書に対する答弁書閣議決定されたことについて、朝日新聞

この内閣の言動や思想をあわせ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環と見なければならない。

などと社説を書いているが、噴飯ものである。

だいたいがして、初鹿議員が提出した質問主意書に書かれているのは、

衆参の決議を徹底するために、教育勅語本文を学校教育で使用することを禁止すべきだと考えますが、政府の見解を伺います。 

という、条件を付さずに一律禁止せよという激烈な内容なのである。教育の自由の制限を強めよと言っているに等しい。

朝日は同社説の中で、

こうした歴史的事実を教えるための資料として、教育勅語を使うことはあっていい。

と言っているものの、上記質問主意書の内容に従えばそれすらできなくなってしまう。

国の回答は(まだ本文が確認できないので報じられた内容に依ってしまうけれども)、教師の裁量権について現状を維持するものであり、むしろ穏当な内容というべきだろう。

文科相 教育勅語「歴史教材に用いるのは問題ない」 | NHKニュース

今回のこの質問主意書にまつわる流れを見ると、常識的には拒絶するよりない極端な提案をし、それに対する対応をミスリードして政権批判するところまでがワンセットになっている感がある。

 

また、もし私が現実主義かつ独裁志向の権力者であれば、このような提案は喜々として受け入れ、政府が教育に対しより深く介入できるような法整備を進めるだろう。教育勅語のような象徴的なお題目など、捨て駒にしたとしても惜しいものではない。

そちらの方がどれだけ恐ろしいことであるか。初鹿議員の行為はそのような事態を招きかねなかった軽挙として強く批判されるべきだ。

 

私が教育に望むのは、自らの知識と思考によって教育勅語を否定できる能力をもった人格を育むこと(エンパワーメント)であって、パターナリスティックに教材から教育勅語を排除するのはむしろそれを阻害する。

教育勅語を肯定的に扱うような教育の監視は、国民が自分たちの力で行うべきことだ。国にそれを行わせるというのは、「おまかせ民主主義」の最たるものではないか。